西本卓也:バイオグラフィ

電子工作

小学生のころ「子供の科学」を読み、電子工作を始める。ディジタル回路に興味を持つ。

パソコン少年

パソコンに興味を持ち、「ラジオの製作」「マイコンBASICマガジン」などを愛読する。パソコンショップに通う。

中学生、高校生の6年間を通じて NEC PC-8801 で N88-BASIC, Z-80 アセンブラ, C 言語などを学ぶ。

「日経バイト」を購読する。情報処理技術者試験(2種、1種)に合格する。

アマチュア無線の免許を取り、144MHz のトランシーバ(ICOM IC-02N)で開局。(現在は運用していない)

ソフトウェア開発

早稲田大学 理工学部 電気工学科に入学。

授業で Pascal を学ぶ。

1989年~1993年、コンピュータのソフトウェア開発のアルバイトを始める。データのやりとりのために NIFTY-Serve を使い始める。

当時コンパイラの普及が始まったばかりの C++ 言語で PC-9801 のアプリケーション開発を覚える。

オブジェクト指向開発・オブジェクト指向分析に興味を持つ。

G.M.ワインバーグの「コンサルタントの秘密」などを愛読する。

浅羽通明「ニセ学生マニュアル」シリーズを愛読する。

天外司朗「人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ」を読んで、不良社員に憧れる。

コミュニティと自己表現

1993年~1996年、ラジオの深夜番組 「モーリー・ロバートソンのアクロス・ザ・ビュー」 (J-WAVE)にリスナーとして(後にボランティア・スタッフ的な立場で)参加する。

アルバイトで稼いだお金でオアシスポケットを買う。デビッド・クローネンバーグの「裸のランチ」に感化される。

PC-VAN の掲示板に発言を始める。ニフティサーブの J-WAVE フォーラムの立ち上げに関わる。

ラジオ番組の放送中にパソコン通信による中継チャットを実践する。

Max や M といった Mac の音楽ツールを使った遊びを覚える。

Yuko Nexus6さん「サイバー・キッチン・ミュージック Macの内蔵音源でプレイする」の制作に関わる。

八谷和彦氏のプロジェクト「メガ日記」に参加する。

米国のWIREDを個人輸入で購読する。

フジテレビのインターネット紹介の深夜番組「Revolution No.8」(司会:モーリー・ロバートソン)に音楽を投稿する。

活動を通じて出会った人たちとの交流の場としてメーリングリスト「ラジオ・バタイユ」を開設する。インターネットの黎明期にパソコン通信と大学コミュニティの架け橋を作る(現在は活動終了)

アルバイトで立ち上げ時期のMSNのコンテンツ制作に関わる。

ナタリー・ゴールドバーグの方法論 「骨まで書け=スプリントライティング」 を実践する。

これらの経験を通じて「個人による情報発信の可能性・有効性」について考えるようになる。

ドナルド・フェイゲン、スティーリー・ダンの音楽を愛聴する。「ナイトフライ」から取ったハンドルネーム「ナイフラ」を使い始める。

左京区

1996年、東京から京都に引っ越す。一人で酒を飲みに行き、行きつけの店の開拓を始める。

ヒューマンインターフェースの研究がきっかけで、チクセントミハイの「フロー理論」と出会う。

電話音声録音システムで遊んでいるうちに「非同期音声会議」のアイディアを思いつく。

「パーソナル・ミュージック・パーティ」「ヌーベル・バーグ・フォーラム」などのアートイベントに参加する。

スプリントライティングの方法論でウェブ日記を始める。モバイルギア、カシオペア、iモード、VAIO-C1などを使うモバイル通信マニアになる。

1999年、京都市左京区にて大正時代の建物「茂庵」で毎月開催されるアートイベント(MO-ANアートマーケット)の運営やホームページの作成などに関わる。

為公史さん(ため・まさひと「眞茶坊」陶芸家・茶人)の「茶のゆ工房」に参加する。

1999年、京都のNPOと協力して視覚障害者のためのキーボード練習ソフト「ウチコミくん」を開発する。

NPO法人SCCJの主催する「京都研究会」で「オープンソースとアクセシビリティ」&「プログラマーの三大美徳」の講演を行う。

2000年、ラジオ放送の文化と番組制作技術に関する研究団体「ラジオフライ」を川崎隆章氏らと結成する。インターネットラジオのストリーミング放送の実験を行う。

松岡正剛氏の ISIS プロジェクトに「ラジオフライ」の活動をサポートしていただく。音声合成を使ったラジオ番組「ラジオフライ・マガジン」を制作する。

オープンソースソフトウェアに関する情報発信を積極的に行う。CVSのメーリングリストを開設し、約700人のメンバーを集める。その後 sourceforge.jp に引越し。

ソフトバンク「バージョン管理システムCVSの導入と活用」(共著)を執筆する。もたもたして執筆が遅れてしまい、売り時を逃す。

2000年、科学技術振興事業団(JST) 新技術開発委託事業「コミュニティ形成機能を持つ音声会議システム」に参加する。

慶応大学ビジネススクールの遠隔講義(テレビ電話やインターネットを利用)を半年間受講し、マネジメントについて学ぶ。

擬人化音声対話エージェントのGalateaプロジェクトに参加する。

視覚障害者のためのパソコン教室に関わって、視覚障害者のためのタイピング練習ソフト「ウチコミくん」を開発する。

「キリンジ」の曲を聴きはじめる。落語を聞き始める。

Visual C++, Visual Basic (Ver.6), Delphi などを覚える。 JBuilder を覚える。Perl で CGI などを書く。

メーリングリスト「ラジオバタイユ」を発言数9999で閉鎖する。

谷中・根津・千駄木

2002年、京都から東京に引っ越して、台東区谷中に住み始める。

pukiwiki を使い始める。

ラジオフライのWebサイトを Wiki 化したことで、放送に関する情報が多く集積するようになり、Wikipedia 日本語版から引用されるようになる。(現在は執筆に関わっていない)

ミクシィに参加してニックネームに「にしもっつ」を使い始める。nishimotz.com ドメインを使い始める。

「デジオ」に参加し、ポッドキャストの制作を試みる。

谷中カフェ(現在は穴守稲荷「油揚げ」)で開催される世弥きくよさんの朗読教室とお芝居、立川こしらさんの落語会に通う。

2004年、公衆無線LANサービス「みあこネット」を谷中カフェに設置。これがきっかけになり、谷中カフェが提案した町おこしアートイベント「アプローチ谷中」に参加する。 劇作家・ダンサーと協力して、地域通貨、ICタグ、QRコードなどを使った町歩きイベントを開催する。

為公史さんの活動を追う映像制作プロジェクト「ゆっくり」を開始し、信楽や大阪で撮影を行う。

2005年、IPA未踏ソフトウェア創造事業に川崎隆章氏と共同で行った提案が採択され「オラビー」プロジェクトを始める。2006年2年に埼玉県入間市のFM Chappyで「なべやかんの居留守放送局」を制作。

2005-2007年、面識のない相手からのストーカー被害に悩まされる。警察とのつきあい方を学ぶ。引きこもり気味になる。

2007年、電子情報通信学会・福祉情報工学研究会の幹事(企画担当)になり、地方での見学会やパネル討論などの企画を積極的に行う。

谷中コミュニティセンターで初心者向けの手話教室を受講する。

電子情報通信学会の総合大会イベント企画「放送メディアにおける福祉情報技術の現状と可能性」(2007年3月22日)を提案、オーガナイザとして関わる。

谷中内で転居し、目の前で火事に遭遇する。

千駄木に転居し、転居当日に目の前で火事に遭遇する。

Java 使いになる。Eclipse 使いになる。 物足りなくて Delphi や C++Builder をかじる。

PHPを使うようになるが気に入らず、Ruby on Rails をかじる。

「はてな」のサービスを使い始める。

WordPress を使い始める。

オープンソースのスクリーンリーダー NVDA の日本語化に関わり始める。

杉並

2009年、杉並区に転居。

twitter を使い始める。電子情報通信学会・福祉情報工学研究会の副委員長として、研究会の Twitter 中継に取り組む。

dokuwiki を使い始める。ja.nishimotz.com の運用を開始する。

十数年ぶりに Python の勉強を始める。

Matlabを使うようになるが、物足りず、Rやoctaveをかじる。

PanasonicとVineに裏切られて「グローバルなものしか信用できない」と思い始める。

github, ubunu, delicious, youtube, slideshare などを使い始める。 はてな日記から Wordpress ベースの d.nishimotz.com にブログを移転。

2009年12月、フロー理論関連の講演をさせていただく。 フロー理論、ソフトウェア開発とオープンソースプロジェクト、オブジェクト指向とプログラミング言語、バージョン管理とアジャイル開発、エンターテインメントとヒューマンインタフェース、スローライフとスローワーク、心の健康、企業と組織と個人の新しい関係、といったことが頭の中でつながり始めている。。

2010年7月、Twitter アカウント nishimotz を英語用にして、日本語用アカウント nishimtz を作る。

2010年9月、スクリーンリーダ NVDA の日本語化プロジェクトの成果として、オープンソース音声合成エンジンの組み込みに成功する。

2011年1月、日本語用Twitterアカウントを @24motz に変更する。PyCom mini で NVDA のプレゼンをする。

2011年2月25日付けで、早稲田大学大学院 基幹理工学研究科から博士(工学)を授与される。

2011年3月、東京大学を退職。

2011年4月、NVDA 2011.1.1j のリリースを担当する。

広島

2011年5月、Dokuwiki サイトを「てくてくラボ」に改称。実家のある広島県広島市に転居。

岩手県山田町に行き、為公人さんのボランティア活動を支援する「光の茶会」USTREAM 配信のお手伝いをはじめる。

2011年6月、NVDAユーザ会広島 を立ち上げる。広島地域のパソコンボランティア団体 VIC に参加する。

2011年9月、NVDA 2011.2j をリリースする。

2011年10月、オープンソースカンファレンス広島に NVDA ユーザ会広島として出展。

2011年12月、nvda.jp ドメインの運用をはじめる。NVDA 2011.3j をリリースする。

nishimotz/biography.txt · 最終更新: 2012/02/19 11:24 by Takuya Nishimoto
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